那古寺(那古観音)は館山市にある真言宗智山派の寺院です。717年行基により開基、その後、1200年頃には秀円上人によって真言密教の霊場となりました。御本尊は千手観世音菩薩で、徳川家康の頃には300石を領する大寺となりました。
基本情報
那古寺 (那古観音) | 坂東三十三観音霊場結願所 安房国札観音第一番 |
住所 | 館山市那古1125 |
電話 | 0470−27−2444 |
拝観料金 | 無料 |
拝観時間 | 8:00〜17:00 |
宗派/山号・寺号 | 真言宗智山派/補陀洛山那古寺 |
本尊・寺宝 | 千手観世音菩薩 銅造千手観音立像(国重要文化財) 木造阿弥陀如来坐像(県重要文化財) |
創建 | 養老元年(717)・行基 |
御朱印 | あり |
駐車場 | あり(無料) |
トイレ | あり |
アクセス | JR内房線・那古船形駅から徒歩10分 |
年間行事
1月1日 | 新年祝祷護摩供法要 |
1月18日 | 初観音 |
2月3日 | 節分会・星祭り |
3月 | 春彼岸法要(春分の日) |
4月8日 | 仏生会・花祭り お釈迦様誕生日 |
7月17・18日 | 観音祭礼・山車屋台出祭 |
8月9日 | 四万六千日 |
9月 | 秋彼岸法要(秋分の日) |
10月第三日曜日 | 施餓鬼会 |
12月18日 | 納観音 |
12月31日 | 除夜の鐘 |
毎月18日 | 観音縁日 |
那古寺の歴史
養老元年(717年)、元正天皇がご病気のおり、僧行基がこの地を訪れ、海から香木を得て千手観音菩薩像を彫刻し平癒を祈願したところ、たちどころに天皇のご病気が治られ、その報謝にと建てられたのが那古寺の始まりと言われています。その後、慈覚大師が訪れ修行し、一二〇〇年頃には秀円上人によって真言密教の霊場となり、鎌倉時代には石橋山の合戦に敗れた源頼朝がこの地に逃れ再興を期して七堂伽藍を建立しました。さらに当山第二十一代の別当には里見義秀、第二十三代には里見の熊石丸が就任するなど、里見氏とは深い関係を持ち、寺勢は大いに栄えました。しかし、元禄十六年(一七〇三年)の大震災で塔堂は全壊、那古山のすぐ下まで迫っていた海岸線は隆起によって後退してしまいました。徳川幕府は一七五九年に現在の地に再建を命じ、明和年間(一七六四〜一七七一年)に落成しました。大正十一年に本堂の大改修が行われましたが、翌年関東大震災により本堂は半壊しましたが、十三年には復旧、その後、仁王門や鐘楼堂を建立、多宝塔、阿彌陀堂も修復し、現在に至っています。
山号の「補陀洛」とは、観音信仰の中心地で「眺望も絶景で海に臨んで花咲き、鳥も囀る極楽の境地」を表しており、御詠歌の「岸うつ波を見るにつけても」は寺の参道のすぐ下に打ち寄せる波を見ながら詠んだものです。
<那古寺のパンフレットより>
駐車場(無料)入口
駐車場
那古寺本坊
那古寺の大蘇鉄
市指定天然記念物
那古寺の大蘇鉄
昭和四十五年二月二十日指定
市内一のソテツの大樹である。幹は根本近くで十二本に枝分かれし、樹高は六メートルに達している。樹齢は不詳、雌株である。囲石に、嘉永七年一力長五郎奉納とあり、力士が奉納したものといわれている。
館山市教育委員会
平成二年三月
<立看板より>
那古観音・那古寺 案内図
参道入口(観音堂まで160m)
左側の白い建物はトイレです。観音堂付近にはトイレはありません。
参道は上り坂がつつ”く。
仁王門
仁王像
仁王門の彫刻
お魚が見えますね。
手水舎
参道の正面が観音堂
鐘楼堂
阿弥陀堂
多宝塔(県指定有形文化財)
元禄16年(1703)の元禄地震後、那古の伊勢屋甚右衛門が願主となり、地元大工によって宝暦11年(1761)に再建された三間多宝塔。下層は方形、上層は円形、宝形造りの屋根の上に相輪をのせている。内部中央の須弥檀に据えられた木造宝塔は多宝塔と同時期のもので、内部に大日如来を安置している。県内の多宝塔は南房総市の石堂寺多宝塔(重文)と那古寺の2例のみ。
<案内図の説明文より>
多宝塔1階の壁
納経所(12:00〜13:00は休憩中)
納経所で御朱印がいただけます。種類は色々ですが、今回は限定御朱印(1000円)をいただきました。
観音堂横の山道を登ると潮音台(展望台)に出れるのですが、2024年1月現在、斜面崩落のため立ち入り禁止です。
針塚 昭和41年(1966)建立
使い古した針を納める針供養のための塚で、約100もの団体や個人によって奉納されている。
納札塚 大正4年(1915)建立
観音霊場を巡礼する東京納礼会による奉納。
観音堂
観音堂 附 厨子 千葉県指定文化財(有建)
千葉建を代表する江戸時代中期の寺院建築である。元禄地震後、享保17年(1732)に再建完了したことが「平成の大改修」で判明。間口5間の五間堂で正面に向拝がある。堂に掲げられている額の「圓通閣」の書は江戸時代末の幕府老中松平定信によるもの。
<案内図説明文より>
正面階段の手前にスリッパが用意されているので、靴を脱いで入りましょう。
木鼻
色彩豊かな彫刻
観音堂の中は撮影禁止なので掲載できませんが、
- 「銅造千手観音立像」(国重要文化財)
- 「木造千手観音立像」(市重要文化財)
- 「歌舞伎大絵馬」(市重要文化財)
などが安置されています。
観音堂前からの眺めは素晴らしく、館山湾(鏡が浦)や館山市街が一望できる。
休憩用の椅子が用意されているので、ゆっくり景色を楽しもう。
日枝神社 安永4年(1775)奉納
今回の参拝で驚いたのが次の写真です。
崖崩れによって龍王堂、八大龍王碑、大黒堂が壊れてしまいました。現在立入禁止です。
次の4枚の写真は2020年9月の様子で、崖崩れ前の大黒堂、龍王堂、八大龍王碑などがはっきりとわかります。
龍王堂と八大龍王碑
八大龍王碑は仙台石の碑で、石巻の高橋屋作右衛門らが那古の船仲間とともに廻船の海上安全を願って奉納。
岩船地蔵
漁業の安全祈願のために、那古の人たちが奉納。
大黒堂
納経所でお尋ねしたところ、2023年7月のお祭りの当日、ものすごい音が聞こえたので行って見ると崖崩れが発生していたと言うことです。
とても残念ですね。
那古観音は歴史が古く文化財も多い寺院です。
近くに崖観音があるのでセットで参拝するのがおすすめ。
初詣限定御朱印
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