メキシコ記念塔(日西墨三国交通発祥記念之碑)とは、1609年9月30日の朝、岩和田海岸(現田尻浜)で当時フィリピン諸島長官ドン・ロドリゴ総督を乗せたスペイン船・サンフランシスコ号が沈没し、これを岩和田の人達は力を合わせて救助しました。それから、日本とメキシコとスペインと三国の交通が始まり、これお記念して記念塔が1928年に建ちました。
基本情報
メキシコ記念塔 | 日西墨三国交通発祥記念之碑 |
住所 | 夷隅郡御宿町岩和田702 |
TEL | 0470−68−2511 |
開園時間 | 10月〜3月 8:00〜16:30 4月〜9月 8:00〜17:00 |
定休日 | なし |
料金 | 無料 |
駐車場 | あり(無料) |
トイレ | あり |
アクセス・電車 | JR外房線・御宿駅から徒歩30分 |
アクセス・車 | 圏央道・鶴舞牛久ICから50分 |
メキシコ記念塔は御宿町の岩和田の山の上にあります。記念塔のある公園からの眺めは素晴らしく、太平洋が一望できます。
記念塔入口
時期により開園時間が変わるので注意してね。
無料の駐車場が整備されていてトイレもあります。
御宿タウンマップ
ロペス・メキシコ大統領來訪記念碑
昭和53年11月1日。国賓として来日されたホセ・ロペス・ポルテイーリョ大統領は、この日、日西墨交通発祥の地である、我が御宿町を訪問された。
大統領は、若者達のかつぐ、神輿に乗り、日の丸の扇を高くかざし、「エルマーノ!」(兄弟よ!)を連呼し、町民の歓呼に応えた。
メキシコ記念塔
千葉県指定重要史跡
ドン・ロドリゴ上陸の地
日・西・墨(日本・スペイン・メキシコ)三国交通発祥記念之碑由来記
1609年(慶長14年)スペイン領フィリピン総監ドン・ロドリゴを乗せた帆船サンフランシスコ号はフィリピンからメキシコに向け航海中台風に遭遇し漂流、この岩和田海岸に座礁した。
秋9月30日未明のことである。
乗組員373人中56人は溺死、残る317人は岩和田村民により救出された。この時海女たちは、飢えと寒さと不安にうちふるえる異国の遭難者たちを、素肌で暖め蘇生させたと伝えられている。大多喜城主本田忠朝の判断により遭難者たちは37日間岩和田大宮寺に滞在、村民の手厚い保護を受けた後、江戸城に至り将軍秀忠に謁し、更に駿府に至り家康に謁し、翌1610年家康が三浦按針に建造させた新しい舟を与えられ無事メキシコに帰国した。
翌1611年聘礼使ビスカイーノの来日、そして1613年支倉常長のメキシコ・スペイン・ローマ特派など、一連の史実はすべてこの岩和田村民の心意気に発するものである。我等の祖先の美挙を後世に永く伝えるため、また永遠なる国際親交を祈念して、昭和3年10月1日森矗昶、浅野重雄等発起人となり、この日西墨交通発祥記念碑が建立された。
抱擁の像
ここからの眺めも素晴らしい。
眼下には岩和田漁港
絶景が楽しめるよ。
そして岩和田村民を誇りに思います。
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