行元寺

行元寺

行元寺はいすみ市にある天台宗の寺院で、849年慈覚大師円仁による開基。徳川家や本多家ゆかりのお寺でもあり、中世以降、房総天台教学の拠点でした。天正14年に現在の地に移されました。「波の伊八」や「高松又八」の作品を所蔵し、多くの見物客が訪れます。

お知らせとして、行元寺旧書院は屋根工事のため、「波の伊八」の欄間彫刻は、令和五年四月より令和六年八月までの間、全ての欄間彫刻は、いすみ市郷土資料館(田園の美術館)に預けました。資料館で公開されています。

資料館の連絡先
0470−86−3708

基本情報

行元寺上総国薬師如来霊場 第二十番
住所いすみ市荻原2136
電話0470−86−3816
拝観料金
(彫刻)
個人 500円
団体 300円
拝観時間
(彫刻)
土・日・祝 個人・一般公開
10:00〜16:00
平日 要予約・団体等
宗派/山号・寺号天台宗/東頭山・無量寿院・行元寺
本尊・寺宝阿弥陀如来・阿弥陀如来立像
創建849年(嘉祥2年)
御朱印あり(本堂納経所)
駐車場あり(無料)
トイレあり
アクセスJR外房線・茂原駅からタクシー25分
JR外房線・一宮駅からタクシー20分
いすみ鉄道・国吉駅からタクシー8分

年間行事

1月1日新年護摩祈願会
1月3日厄除元三大師大護摩
3月彼岸会大法要
4月8日花まつり、文化財公開、茶建薬師縁日
8月15日孟蘭盆会、施餓鬼大法要
9月彼岸会法要
12月31日お焚き上げ、除夜の鐘

行元寺はいすみ市荻原の県道153号線沿いにあります。大きな看板があるので分かりやすい。

駐車場も大きいので安心。大型バスも大丈夫。

駐車場の奥には天台宗南総教区宗務所がある。

駐車場の左にある坂道を進みます。

参道の左側には見所が看板で紹介されているので助かる。

波の伊八や高松又八の彫刻が観れるのは、土・日・祝日の10:00〜16:00。

拝観料は500円。

波の伊八の「波と宝珠」は葛飾北斎に影響を与えた。

高松又八(公儀彫物師)の作品は日本でここだけ。

次の写真は高松又八の「唐獅子と獏」

参道の途中の由緒書

慈覚大師開山一千百五十年(平成十一年)
冷泉家・二階堂行元公再興七百年(平成十四年)
 天台宗 東頭山 行元寺
当山は平安時代の嘉祥2年(八四九)慈覚大師によって伊東大山(現大多喜町伊藤)に開創された。東国最初の開山ゆえ「東頭山」と号し三学院無量寿寺と称した。しかし後に戦禍のの為に焼失し平重盛により荻原茶田谷に復興する。
しかしながら再度の兵火に遭い冷泉大納言・二階堂行元によって再興、大檀那の名を寺名とし東頭山無量寿院行元寺と改称、天正十四年(一五八六)六月、現在地に移築する。御朱印三十石、十万石の待遇を受け、上総・安房に末寺百ケ寺を有し祈願寺、学問寺として発展、多くの名僧や学僧を生んだ。

 音(おと)にきく 行元寺(ゆきもとてら)に詣(まい)りなん
  法(のり)の光りは 永遠(とわ)に 変(かわ)らじ (御詠歌)

 萩原の行元寺 お江戸でもっぱら評判だ (民謡)

<立て看板より>

山門(別名・慈雲閣)

山門は1735年(享保20年)の建立で、入母屋造りの二層からなる。

平成19年から4年の歳月をかけ極彩色に復元された。

周りには彫刻が施されている。

全体から写実的・装飾的な寛永文化の特色となっている。

仁王像

1735年(享保20年)11月の建立。

山門を過ぎると左手に鐘楼堂がある。

木鼻

手水石

参道の右側の延命地蔵尊

伊八亭(休憩所)

本堂

   行元寺本堂
天正十四年(一五八六)六月の建立といわれ、元禄から宝永二年(一七〇五)にかけて改造された桁行十三間二尺の、県下及び関東有数の規模を有する大建築である。
 内陣の須弥壇上に本尊を安置し、その背面は板壁で左右に来迎柱をおき、天正時代の面影を残す。
 天井は蛇腹支輪つきの格天井で内陣入口の柱に和様出組の斗供をそなえ、外陣中央は格天井と拭板敷の床からなる。十八世紀初頭の構架として、房総建築史上、非常に貴重な建造物である。

<立て看板より>

本尊は阿弥陀如来ですが、ともに祀られているのが元三大師です。元三大師は平安時代中期の比叡山の座主で、その法名を元三良源(りょうげん)と言う。

厄除大師・降魔大師・角大師・豆大師などとも言う。

毘沙門天(外房七福神)

当山本尊の守護神(写)
勇気 授福の善神
  毘沙門天
四天王の一人で 財宝富貴を
つかさどり 顔は忿怒(ふんぬ) 体軀(たいく)は降然(りゅうぜん)
威儀(いぎ)堂々 左手は塔(とう)を捧げ 右手は
宝棒(ほうぼう)を振って 悪霊(あくりょう)を退散させ 脚下
には夜叉鬼(やしゃき)を踏んで 勇気と財宝を
授ける善神です
色紙に 御朱印をいただいて
巡拝ください
  東頭山 行元寺

<立て看板より>

亮運僧正 石塔籠

徳川家康・家光公の師
  行元寺第十八世 亮運僧正(りょうんそうじょう) 石塔籠
 永禄元(一五五八)年四月八日 総州武射郡富田村(現山武市富田)生 富田光明寺にて出家「定賢(じょうけん)」と改め のち同光明寺住職
 慶長九(一六〇四)年六月行元寺住職拝命 同十八年二月から天海僧正と共に徳川家康の講師を努め 功により「関東天台宗法度(はっと)」成立 大多喜城主本多忠朝の帰依(きえ)厚く のち諸大寺を歴住し「巖海」さらに「亮運」と改名した
 天海は徳川秀忠・家光から上野忍ケ岡(現東京上野公園とその周辺)を拝領して 東叡山寛永寺(とうえいざんかんえいじ)を創建し開山 亮運は東叡山凌雲院(りょううんいん)(現国立西洋美術館と周辺)を開基して東叡山初代学頭職となり 関東各地に檀林(だんりん)を置き学徒の教育に努めた 天海亡きあと亮運が家光の師となる
 慶安元(一六四八)年十一月四日九十二歳寂
     石塔籠 東京 舘 克亮師 寄贈

<立て看板より>

たらようの木

   たらようの木
    (もちのき科)
葉書の名の元祖で、「手紙の木」ともいう。むかし紙が無かった時代に、竹の枝などで葉の裏に願いごとを書いて仏前に供え、また飛脚(郵便)に頼んで安否を知らせた。
「たらようの木」に絡(から)まっているつる状の木は、「のうぜんかずら」で盛夏に橙赤色の大花が無数に開く。

<立て看板より>

本堂右手にある旧書院

1802年(享和2年)の建立で、波の伊八の「波図彫刻」などがある。

現在改修工事中のため欄間彫刻等は、いすみ市郷土資料館にて展示中。

伊八の彫刻を観たい方はいすみ市郷土資料館へ足を運んでください。

行元寺は歴史のある南総地区の中心的な寺院でした。

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