赤山地下壕跡

赤山地下壕跡

赤山地下壕は館山航空基地の近くにあり、昭和19年頃から建設が始まったとされます。地下壕の総延長は1.6キロメートルで、そのうち250メートルが公開されています。受付は豊津ホールで行います。

基本情報

赤山地下壕跡
住所館山市宮城192−1
TEL0470−24−1911
開壕時間9:30〜16:00
受付は15:30まで
休壕日毎月第3火曜日
(祝日の場合は開壕し、翌日休壕)
12月29日〜1月3日
入壕料一般 200円
小・中学生 150円
(団体20名以上はそれぞれ50円引)
受付豊津ホール
駐車場あり(無料)
トイレあり
アクセスJR館山駅東口から日東バス「館山航空隊」行き
「みやぎ」バス停下車徒歩3分

豊津ホールの受付

券売機でチケットを購入

ヘルメットと懐中電灯が渡されます。

豊津ホールの奥の道を進みます。

地下壕入口

ヘルメットは必ずかぶりましょう。

この近くに自力発電所がありました。

(案内板より)

この一角は、壁面がコンクリートで補強され、コンクリートの土台や、床面の鉄筋が残っています。発電所があったところで、昭和20年2月に、航空隊の正門前の変電所から移転して使用されたということです。4気筒200馬力のデイーゼルエンジンが2台、発電機2台、変圧器9個があったそうです。

迷路のように作られています。

迷子になりそう。

行き止まり

(案内板より)

この部屋はガンルームとよばれていたという証言があります。少尉クラスの士官たちの部屋だったようです。奥の四角く切った大きなクボミは御真影を安置した奉安殿で、桧の板張りだったそうです。空襲のときに航空隊から御真影を移したということで、少尉クラスの仕官の役割でした。

(案内板より)

終戦後は「忘れられた存在」になっていましたが、湿度が年中一定していることから、昭和30年前後より、キノコ栽培に使われていました。国内の他の戦争遺跡にも、戦後しばらくキノコ栽培に使われた地下壕跡があります。この風呂やボイラー、コンクリートブロックなどは、そのときに設置されたものです。

見学順路の案内板がなかったら迷子になるとこでした。

戦時中の様子が少しわかりました。

貴重な戦争遺跡です。

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