飯縄寺(いすみ市)

飯縄寺(いすみ市)

飯綱寺はいすみ市岬町の太東崎灯台下にあります。808年慈覚大師に依って開山された天台宗の寺院です。神仏融合の名残が入口の鳥居に見られます。本堂の彫刻には初代伊八の最高傑作「牛若丸と大天狗の図」がありますが、その迫力には驚かされます。また本堂の天井画は「葛飾北斎」の師匠「堤等琳」の作品で、一度本物を目にしてもらいたいです。

基本情報

飯縄寺(いつ”なでら)
天狗のお寺としても有名
住所いすみ市岬町和泉2935−1
電話0470−87−3534
拝観料金300円
拝観時間10:00〜16:00
宗派/山号・寺号天台宗/明王山・無動院・飯縄寺
本尊・寺宝飯縄大権現
創建808年(大同三年)
御朱印500円
駐車場あり(無料)
トイレなし
アクセスJR外房線・太東駅から徒歩25分
JR外房線・太東駅からタクシー5分
JR外房線・一宮からタクシー15分

*本堂は悪天候時には閉堂する場合があります。

国道128号線の太東崎灯台入口の交差点を曲がるとY字路に出るので右に進む。

道なりに進むと駐車場の看板が目に入る。

「天狗のお寺 飯縄大権現」の看板を左折すると駐車場。

駐車場から仁王門はすぐですが、神仏融合の名残の鳥居は参道を入口まで戻ると見れるよ。

鳥居の柱だけが残っているね。

外房地区の寺社でも、神仏分離の痕跡を時々目にする。

仁王門が見えて来た。

仁王門の手前右側に石碑がある。

石碑には、「東叡山御直末」と彫られている。

上野の寛永寺との関係が深く、江戸時代には東京からの参拝者も多かった。

仁王門

寺内で最も古い建物で室町期様式の茅葺き屋根(いすみ市指定有形文化財)。

いすみ市指定有形文化財 飯縄寺仁王門 一棟
平成七年五月二十六日指定

 この仁王門は、三間一戸一重八脚門形式(さんげんいっこいちじゅうはっきゃくもんけいしき)の寄棟造(よせむねつ”く)りで、屋根は茅葺となっています。
 正面の左右には仁王像を安置しています。正面と通路側の二面ともに腰までの高さに金剛柵を設け、その上方に花頭窓を入れるという珍しい形式で、当初は扉があったと推測される痕跡が残されています。
 頭貫木鼻(かしらぬききばな)・蟇股(かえるまた)などの形や虹梁(こうりょう)に彫られた唐草文様などから、室町時代末期の様式が見られます。また、蟇股には飯縄信仰で祀られる鳥天狗が彫られており、同寺の特色をよく表しています。
  建築年代は不明ですが、寺伝として元禄五年(一六二九)、または正徳四年(一七一四)建立の二説が伝わっています。県内の仁王門の中でもこの時期の、しかも室町末の特徴を残す事例は少なく大変貴重な遺構です。

いすみ市教育委員会

<立看板より>

阿形像

吽行像

蟇股

蛙股の彫刻には、鳥天狗が波乗りをしているものもあるよ。

飯縄寺縁起

西暦808年(大同三年)慈覚大師開山。天台宗・明王山無動院飯縄寺。元は満蔵寺と号した。戦国の世に武田氏が伝え土岐氏に引き継がれて拡まった飯縄信仰により太東岬に別当として飯縄大権現を祀り、江戸初期に御本尊に迎え「飯縄寺(いつ”なでら)」と改め現在に至る。
『飯縄大権現』は白狐の跨った鳥天狗の御姿で火防・海上安全・商売繁盛・無病息災など十三のご利益がある。神仏融合の寺で天海とも縁が深く、江戸中期には東叡山(上野寛永寺)直轄となる。
 以来、地元はもとより江戸からの参詣も多く、栄華を極め、寛政九年(1797)現在の本堂が再建された。

<飯縄寺パンフレットより>

飯縄寺は「天狗」のお寺として、防火、海上安全、商売繁盛、無病息災などの祈願寺として多くの信仰を集めている。

参道の左側に「お護摩受付所」がありますが、ここで御朱印がいただけます。呼鈴を押すと対応していただけます。

御朱印(500円)

参道を進むと右側にいすみ市指定有形文化財の水屋がある。

水屋(いすみ市指定有形文化財)

水屋の蟇股

いすみ市指定有形文化財
 飯縄寺水屋

飯縄寺の水屋は寺記には寛政九年(一七九七年)と記され切妻瓦葺き横裏側は板で囲った開放的簡素である。組物などの細部には江戸時代初期の様式が見られる。
寺記に残る寛永十四年(一六三七年)阿弥陀堂建立の古い資材を再利用したものと推察される。
手洗石は銚子の住人五人が施主となって享保十二年(一七二七年)寄進した銘が記されている。

 いすみ市教育委員会

<立看板より>

鐘楼(いすみ市指定有形文化財)

鐘楼堂は細部まで彫刻が施されている。

いすみ市指定文化財
 飯縄寺鐘楼
平成七年五月二十六日

 寺伝によると、この鐘楼(しょうろう)は弘化三年(1846)の建立である。
 様式は、入母屋造(いりもやつ”くり)・瓦葺(かわらぶき)で、石造袴腰(はかまごし)上に土台を据えて、高欄付き回縁(まわりぶち)を設けている。腰組(こしぐみ)は、唐様三手先の詰組形式として、この腰羽目には、竜・虎等の動物彫刻が施されている。軸部丸柱の冒頭には台輪(だいわ)を巡らし、組物は詰組の二手先(ふたてさき)としている。羽目板には牡丹・菊等の彫刻が施され、丸柱頂部の真隅(ますみ)に唐獅子(からしし)の彫刻を入れている。
 堂側の兎図左端に「上総国東金町住人建方彫工大木飛弾藤原綱行」の銘がある。作者藤原綱行は現東金市の住人で、同家当主は代々「大木茂八」を称し、多く作品を残している。
 このように、細部に至るまで彫刻を施す手法は江戸時代末期の特色である。時代様式の流れを知る上でも、貴重な建物である。

平成十九年七月二十五日
 いすみ市教育委員会

本堂(千葉県指定有形文化財)

県指定有形文化財
飯縄寺本堂 一棟
 指定年月日 平成七年三月十四日

飯縄寺本堂は内外陣境にある欄間彫刻の銘文で明らかなように、初代武志井八郎信由、俗称「波の伊八」の作例をもつ寺院建築として知られている。現在の本堂は棟札などの資料から寛政九年(一七九七)の完成と考えられ彫刻と一体となった優れた建造物と言える。

 牛若丸と大天狗の図

鞍馬山で牛若丸が天狗より巻物を伝授される図で高さ一メートル、幅四メートルのケヤキの一枚板に彫られ、銘文から初代武志伊八の作と認められる。作者の運力の冴えが見られる雄勁な大作で、県内宮彫刻としては最優秀といっても過言ではない。

 平成十三年三月 いすみ市教育委員会

本堂の中は撮影禁止のため画像でお伝えできませんが見どころ満載ですよ。

特に本堂の中に施されている彫刻の「牛若丸と大天狗の図」は迫力満点で初代波の伊八の最高傑作と言われています。

彫刻は縦1m横4mのケヤキの一枚板で作られているよ。

牛若丸と天狗の伝説

 この地には、源義経が、京都から奥州に向かう途中に立ち寄ったという話が伝わり残っています。
 まだ牛若丸の頃、京の鞍馬山で大天狗から武術を学んだことは有名ですが、その大天狗から「奥州に向かうなら、わしの知り合いのいる上総の国の飯縄寺へ訪ねるが良い」と言われ、伊豆から舟で当地に着いたそうです。

<飯縄寺パンフレットより>

本堂の天井には、浮世絵師「堤等琳」の天井画があります。「堤等琳」は「葛飾北斎」の師匠であったと言われていて、葛飾北斎は波の伊八と堤等琳に大きな影響を受けています。

本堂は悪天候時には閉館することもあります。

本堂左側の様子。

元は池があったところ。

本殿左側から見た様子。

本殿の後ろの様子。

貴重な文化財がたくさん残されていて見応えのある寺院です。ぜひ足を運んでください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました