小網寺(館山市)

小網寺(館山市)

小網寺は館山市にある真言宗智山派の寺院です。古くは大荘厳寺と呼ばれ、行基、良弁、弘法、慈覚大師などが来山し、弘安5年(1282年)には密教修行の道場として栄え、「安房の高野山」とも言われました。境内には安房国札三十二番札所にあたる観音堂があり、本尊の木造聖観音立像は平安時代のものです。また、国の重要文化財に指定されている弘安9年の梵鐘があります。

基本情報

小網寺安房国札三十四観音の三十二番札所
古くは大荘厳寺と呼ばれた
住所館山市出野尾859
電話0470-28-0644
(松野尾寺)
拝観料金無料
拝観時間自由
宗派/山号・寺号真言宗智山派/金剛山
本尊・寺宝不動明王
梵鐘(国重文)
小網寺鋳銅密教法具(県指定)
木造聖観世音菩薩立像(市指定)
創建710年(和銅三年)
御朱印なし
駐車場あり(境内入口付近)
トイレなし
アクセスJR内房線館山駅から
タクシー10分

小網寺に行く道は狭いので気をつけよう。

境内入口付近の路上に車をとめます。

寺号碑

総高3mの石柱正面に「新義真言宗智山派金剛山小網寺 智山派管長大僧正栄豊謹書」、裏面に「大正13年5月209日 当山呼称大荘厳寺」、右側面に「小網寺西光寺合併記念」ある。岡田地区にあった西光寺が大正9年に火災で消失し、小網寺も大正12年(1923年)の関東大震災で一部倒壊し被害を蒙った。そこで、震災の翌年に西光寺を小網寺と合併して再建した記念に建てられたもの。

<立て看板より>

六地蔵尊

右が地蔵菩薩半跏像、左が馬頭観音像

地蔵菩薩半跏像
仁王門手前にある。念仏講の男女によって宝暦3年(1753年)3月24日に奉納されたものである。

馬頭観音像
地蔵尊のbひだりにあるもので、馬の守護神とされる。大正3年(1914年)に、元名主家の山口太右衛門の寄進による。農耕や運送に活躍した馬の供養として建てられたもの。

<立て看板より>

仁王門

仁王門の木鼻

仁王像

小網寺の指定文化財について書かれた立て看板が仁王門の右側にあります。

重要文化財(有形文化財・工芸品)
金銅密教法具(こんどうみっきょうほうぐ)
<国指定:令和5年(2023年)6月27日>

千葉県指定文化財(有形文化財・工芸品)
蓮華形柄香炉(れんげがたえごうろ)
<県指定:令和6年(2024年)3月29日>
所在地:館山市出野尾859 小網寺
(館山市博物館保管)
 銅製鍍金の密教法具類で、五鈷鈴(ごこれい)・五鈷杵(ごこしょ)・独鈷杵(どっこしょ)・金剛盤(こんごうばん)輪宝(りんぽう)及び輪宝台・羯磨(かつま)及び羯磨台・花瓶(けびょう)・四橛(しけつ)などの20点の組み合わせです。鎌倉から室町時代の制作で、当初からの一具ではありませんが、法具として後世に組み合わされたと思われる一群です。
 鎌倉時代の法具は、鋳上(いあ)がりのよい優品であり、また、金剛盤・蓮華台(れんげだい)(輪宝台・羯磨台)・花瓶等には金沢審海(かねさわしんかい)の刻銘があることから、房総半島対岸の金沢(かねさわ)・称名寺(しょうみょうじ)の開山である妙性房審海(みょうしょうぼうしんかい)に関連する遺品であることがうかがわれます。
 密教法具が伝来した小網寺は、安房における密教道場として、鎌倉時代には大規模な伽藍が整備され、隆盛しました。鎌倉時代の優品を含む中世の密教法具の遺例として貴重です。(鎌倉〜室町時代・13〜16世紀)
 また、蓮華形の意匠が特徴的な柄香炉は、県指定となっています。

館山市指定文化財(有形文化財・彫刻)
木造聖観音立像(もくぞうしょうかんのんりゅうぞう)
<市指定:昭和47年(1972年)1月21日>
所在地:館山市出野尾859 小網寺
(館山市博物館保管)
 小網寺観音堂の本尊で、像高97.0cm、割矧(わりはぎ)造りです。左手に持つ未敷蓮華(みぶれんげ)に右手を添える姿の聖観音像です。
 古風な髪型につくり、伏目で美しい弧を描いた眉や、細身ながら形のよく整った体は静的な印象を与え、着衣も浅くまとまりよく彫り出されるなど、上品な表現は平安時代後期の典型的な藤原様式を示し、12世紀頃の制作と考えられています。安房地域には多くの平安仏が現存していますが、その中でも本像は中央作と思われる洗礼された像です。

<立て看板より>

仁王門をくぐると苔むした石段がある。

雨の日は滑るので足元に注意。

階段を上り切ると観音堂。

石灯篭観音堂

手前の石灯篭は1841年(天保12年)の奉納で正面に永夜灯とある。

観音堂の手水石

手水石も1841年(天保12年)の奉納で、正面に三巴紋と奉献の文字がある。

観音堂

観音堂
 明治初期の建築で、大正12年(1923年)の関東大震災を免れた。安房国札第32番の札所で、木造聖観音菩薩立像(像高110cm)が厨子(ずし)に安置されている。檜材で、左手に蓮華を持ち、右手は蓮弁に添え、腰はやや左にひねったお姿である。平安時代後期の作で市の指定文化財。

<立て看板より>

銅像地蔵菩薩座像

銅像地蔵菩薩座像
 銅造の地蔵菩薩像で、安永2年(1773年)9月の作。総高270cm、像高188cm。左手に宝珠、右手に錫杖(欠失)をもつ。明和7年(1772年)に本堂・仁王門等の再建にあわせ、神余村(現館山市)出身の僧宗真が庶民を迷いから救済し引導することを祈念したもの。台座には宗真の尽力を讃えるとともに、小網寺再建の経緯が記されている。作者は江戸神田の鋳物師多川薩摩とある。

<立て看板より>

和讃の額

三十二番 小網寺

「御手にもつはちすのいとの小あみ寺 いかなるつみもここにあらめや」

宝篋印塔

宝篋印塔

 檀家などの協力で出来上がった円通閣(観音堂)の落成記念の宝篋印塔。落成は延享2年(1745年)9月18日。18日は観音様の縁日にあたる。この宝篋印塔の中にはたくさんのお経を納めてあるので、一心にお参りすれば、重い罪を犯した人もたくさんの災いをもっている人も、観音様やお不動様の慈悲・加護を受けることが出来る、という内容」が書かれている。

<立て看板より>

住職墓地

住職墓地

観音堂の左手と裏手の墓地は歴代住職のもの。裏手は三列で17基、左手には10基の墓がある。

<立て看板より>

法華谷やぐら

 墓地を抜けて坂を下りたところを通称法華谷といい二つのヤグラがある。左のヤグラは高さ1.2mで、奥壁に2基の五輪塔が浮き彫りにされ、右のヤグラは2基の五輪塔が据え置かれ、中央には右手に五鈷杵、左手に数珠を持った石造の弘法大師坐像が安置されている。文政11年(1828年)に出野尾村(現館山市)と岡田村(現館山市)の人々が寄進したもの。ここは弘法谷ともよばれ、弘法大師修行の場として伝えられている。

<立て看板より>

観音堂の石段を降りる途中、本堂に通じる石段が左にある。

石段を降りると鐘楼堂の近くに出る。

鐘楼堂

梵鐘

梵鐘(弘安九年在銘)
国指定:昭和36(1961)年6月30日

小網寺は真言宗智山派の寺院で金剛山小網寺といい、不動明王を本尊としています。かつて密教道場として隆盛したこの寺に伝えられているのが、千葉県の名鐘とされるこの梵鐘です。総高107.5cm、口径62.1cmで、3段組に鋳上げられています。上帯には飛雲文(ひうんもん)と日月(じつげつ)を、下帯には密教法具の三鈷杵(さんこしょ)を鋳出しています。撞座(つきざ)は八葉複弁(はちようふくべん)です。
 池の間には、梵語(ぼんご)(インドの古い言葉)で、「大随求陀羅尼(だいずずいぐだらに)」を浮き彫りにしてあります。「大随求陀羅尼」とは、随求菩薩(ずいぐぼさつ)の誓いを説いたものです。これをとなえれば、すべての罪が消えさり、思うとおりに願いを叶えることができるといわれています。
小網寺の梵鐘には「大随求陀羅尼」を刻んだ梵鐘の功能も記されています。この鐘の音が、「大随求陀羅尼」そのものであり、人々の耳に入れば、様々な福をもたらし、病や災難から身を守ると考えられていたようです。
 また、小網寺の旧名とされる「金剛山(こんごうさん) 大庄厳寺(だいしょうごんじ)」の銘、そして、弘安9年(1286)年に「金剛佛子隆尊」を大願主、「矢作助定」「大田未延」を大檀那とし、「大工大和権守物部国光(やまとごんのかみもののべのくにみつ)」によって鋳造されたとあります。物部国光は東漸寺(とうぜんじ)や称名寺(しょうみょうじ)(いずれも横浜市)、円覚寺(鎌倉市)など、鎌倉幕府の執権北条氏とかかわりの深い寺院の梵鐘を次々に鋳造した。当代一流の鋳物師です。小網寺にはこの他に称名寺を開いた妙性坊審海(みょうしょうぼうしんかい)ゆかりの密教法具(千葉県指定有形文化財)が伝えられています。館山市内では、東京湾をはさんだ相模と安房の文化交流をうかがわせる文化財が多く確認されており、小網寺の梵鐘もこうした背景のもとに制作されたと考えられます。

<立て看板より>

本堂の手水石

本堂前の手水石

文政11年(1828)、時の住職第35世栄運のときに七五郎・新助の両名が願主となって林蔵他8人で寄進した。手水舎の寄贈は平成2年、東京山口秀男とある。

<立て看板より>

本堂

本堂 

 現在の本堂は明治23年(1890年)4月に、第41世栄 和尚により建設され、向拝(ごはい)彫刻は初代後藤義光が彫り、同25年5月に完成した。彫り物はすべてに寄付した人の名が刻まれている。大正12年の大震災で倒壊するも、翌年に第50世小峰隆明により再建された。

<立て看板より>

向拝の彫刻

木鼻

見事な彫刻が施されている。

安房の名工、初代後藤義光の作品。

御詠歌

32番 小網山

遥々と 登りて見れば 小あみさん 鐘の響きに あくる松風

庫裡

見所の多い小網寺です。

かつての繁栄ぶりがわかります。

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