木幡神社は館山市の山本地区にあります。創建は123年(12代景行天皇53年)で、とても古い歴史があります。大祖三柱の天神を今の天神山に祀ったことにはじまる。当社の北方の河岸段丘上に「滝川のびゃくしん」があり、当社御神木とされる。推定樹齢800年で市の天然記念物に指定されています。
木幡神社 | 旧村社 |
住所 | 館山市山本2418 |
電話 | なし |
拝観時間 | 自由 |
拝観料金 | 無料 |
御祭神 | 正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊 (まさかつあかつかつかはやび あめのおしほみみのみこと) 栲幡千々姫命 (たくはたちぢひめのみこと) 天津彦彦火瓊瓊杵尊 (あまつひこひこほににぎのみこと) |
創建 | 123年(12代景行天皇53年) |
御朱印 | なし |
祭礼 | 9月敬老の日の前の土・日 (国司祭:やわたんまち) 10月10日(例祭) |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
アクセス | JR内房線九重駅から徒歩20分 |
木幡神社のお神輿
車でお越しの際は、駐車場がないので入口付近に止めます。
鳥居と参道
手水舎
境内は静かな環境にあり、苔むしていて雰囲気があります。
拝殿
境内社
木幡神社の由緒書
勝運・授福の神 木幡神社 館山市山本旧滝川村鎮座
御祭神
正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかつあかつかつかはやびあめのおしほみみのみこと)
(皇祖天照大御神の第一皇子で当社の主祭神)
栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)
(正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊の妃)
天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほににぎのみこと)
(両神の皇子で「日本」創建の神)
由緒
当社は『神社由緒書(縁起抄書)』によれば、十二代景行天皇五十三年冬十月、大祖三柱の天神を今の天神山に祀ったことにはじまる。(西暦一二三年)
『日本書紀』によると、景行天皇五十三年十月の条に「冬十月、至上総国従海路渡淡水門、云々」とある。これは、景行天皇四十年に日本武尊が蝦夷征伐を行っており、天皇自ら日本武尊ノイ東征のあとを巡歴し「淡水門」(あわのみなと)に渡った時の事を記したものである。「淡水門」は、現在の平久里川河口(湊川)である。そして皇室の祖神に連なる正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊を祭神とする当社は、大和朝廷の権威と東国支配bの正当性を示す象徴として、この景行天皇東方巡歴との関連の中で建立されたものと思われる。
『先代旧事本紀』によると、十三代成務天皇の御代に、大伴直大滝が(おおとものあたいおおたき)が阿波の国の初代国造(くにのみやっこ)に任ぜられた。彼は遥か「淡水門」を望める今の萱野字「館野原」の台地上に館を築き、当国統治のい拠点にしたといわれている。そして当社は、国の中心にある神社として代々の国造によって手厚く祀られてきた。なお、「阿波」が「安房」と改められたのは、四十代天武天皇の頃からである。
その後、大伴武日命が初めの鎮座地今の天神山より、三柱の大神をいまの字所に移したという。
当社の八幡祭礼(安房国司祭)への神輿出御は、七十一代後三条天皇の御字延久二庚戊年(一〇七〇)に始まるという。
滝川のびゃくしん(館山市指定天然記念物 昭和五十二年十月二十日指定)
イブキの一品種で、当樹は推定樹齢八百年内外、目通り四・三M、根回り五・五M、樹高十・三五M。所在地は当社北方二〇〇M程の通称天神山で、当社創祀の地とされ、御神木としての伝承がある。
朝比奈の立石(たていし)
当社西方五十M程の所にある大岩で、建保元年(一二一三)の和田合戦で執権北条義時軍に敗れた侍所別当和田義盛の三男朝比奈三郎義秀が当地に逃れてきたとき、天神山にあった影向の岩を今の社の広前に持ってきた、あるいは投げたと言い伝えられている。
平成二十八年三月
木幡神社 社務所
<境内立て看板より>
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