小松寺

小松寺

小松寺は南房総市千倉町にある真言宗智山派の寺院です。原生林が広がる奥深い山間にあり、寺院の歴史は1300年以上も続く古寺です。紅葉の名所として知られており、イチョウやモミジ、カエデが鮮やかに色つ”く。子育て・安産を願って多くの女性が参拝に訪れます。

基本情報

小松寺東国花の寺 百ヶ寺
住所南房総市千倉町大貫1057
電話0470ー44−2502
拝観料金無料
拝観時間自由
宗派/山号・寺号真言宗智山派/壇特山・医王院
本尊・寺宝薬師如来
銅造十一面観音坐像(国重文)
木造薬師如来立像(県有文)
梵鐘(県有文)
創建718年(養老2年)
御朱印あり
駐車場あり(無料)
トイレあり
アクセスJR内房線・千倉駅から
タクシーで約8分
  • 毎月8日(午前11:30頃より)お護摩を焚いています。どなたでも参加できます。
  • 紅葉の見頃は11月下旬〜12月上旬で、期間中ライトアップ(午後5時〜9時)されます。

初めて小松寺に訪れる方には、道がわかりずらいので説明します。

安房グリーンラインと県道188号線の交差点付近に「小松寺」の看板があります。

安房グリーンラインを南(白浜方面)に進み、すぐ右へ入ります。

道幅が狭くなるので徐行してね。

参道入口ですが、車は入れません。

間も無く右側にちょっとした駐車スペースがあるので、ここに車をとめてもOK。

目の前は池。

池の先右側に駐車場とトイレがある。

駐車場から仁王門はすぐ近くですが、参道から歩くのもおすすめだよ。

参道は自然に囲まれていて空気がおいしい。

鳥居が現れた。神仏習合の名残り。

鳥居をくぐると聖域。

仁王門

仁王門
仁王とは、仏教の護法善神(守護神)である天部の金剛力士のことです。
開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の二体を一対として、寺院内に仏敵が入り込むことを防いでいます。
小松寺の現在の仁王門と仁王像は、江戸時代末期に川口村(千倉町)の名主荒井興平治が寄進したもので、仁王像を彫ったのは、平舘村(千倉)の医師で俳句・絵画・彫刻に巧みな石井宇門と伝わる。
また、昭和五十五年(一九八〇)に荒井家の子孫により塗り替えられています。
近年でも、平成二十四年に荒井家子孫と小松寺檀家の寄進により塗り替えられている。

<立看板より>

仁王像

鐘楼堂

鐘楼堂の彫刻

鐘楼堂
安政元年(一八五四)の火災により全ての堂を失った後、明治二十一年(一八八八)健田村小松(千倉町)の長岡カルより寄進されました。彫刻は国分の後藤義信。
老朽化に加え、東日本大震災時の大きな揺れなどにより傾斜が確認された為、修復を検討中。
梵鐘
『小松寺七不思議』の一つ、悲劇の「千代若丸」の名を刻む貴重な梵鐘です。この千代若丸の供養の為に、高階(たかしな)家吉と正氏が大檀那となって南北朝時代の応安七年(一三七四)に寄進。
当時の住職(別当)は越後僧都(そうず)経秀、浄財を集める勧進(かんじん)僧は沙門大進権津師(ごんのりっし)貞憲。製作した鋳物師(いもじ)は山城権守宗光。昭和四十七年に千葉県有形文化財に指定。
現在、鐘を突くことはありません。

<立看板より>

石造地蔵菩薩坐像

石造地蔵菩薩坐像

小松寺檀徒先祖代々の万霊供養のために、小松寺第四十三世隆澄が発願主となり、近隣寺院の御助法と朝夷郡を中心に多くの信徒の寄進によって、明治十四年(一八八一)に建立されました。寄進者二二〇人の芳名が、中台に刻まれています。
作者は館山の俵(田原)長左衛門。

<立看板より>

観音堂

観音堂
安房国札観音霊場第二十六番札所
明治時代初期の神仏分離令以後に、千倉町牧田の下立松原神社から移築された御堂。
 弘法大師の作と伝えられる「聖観世音菩薩坐像」を安置する
 お開帳は丑年と午年

<立看板より>

参拝のしかた
先、一礼
次、胸の前で合掌して祈願
次、合掌を解いて、一礼
(拍手は打ちません)

おびんつ”る様

(撫で仏)
おびんつ”る様のアタマを撫でて、手を合わせましょう。

除病の功徳あり

光明真言供養塔

光明真言供養塔

本願主は当寺四十二世信澄。
大貫の村中が願主となり光明真言百万遍を唱え大日如来の救済を願った。
当時 下ノ堂にいた法念が助法。
石工は館山町楠見の田原長左衛門(現 館山市俵石材店)。
 一八五三(嘉永六年)建立

<立看板より>

椅子が用意されているので、建造物や自然がゆっくり楽しめる。

本堂

壇特山医王院小松寺
(だんとくざん いおういん こまつじ)
 宗派 真言宗智山派
 本尊 薬師如来

奈良時代、役小角(えんのおつ”ね)によって小さな庵が建てられる。
養老二年(一七一八)に一間四面のお堂に建て替えられ、寺名を『巨松山壇特寺』として開基。
天長八年(八三一)慈覚大師円仁により堂塔が建て替えられ、山王権現が祀られる。
平安時代前期、火災により全焼。しばらくは廃墟のままとなる。
延喜二十年(九二〇)、国司安房守住吉朝臣小松民部正壽により再建寺名を『壇特山医王院巨松寺』と改められ、七堂伽藍が整い、薬師如来が祀られる。
(七堂伽藍とは、本堂・塔・鐘楼堂・経蔵・食堂・中門・僧坊など)
その後次第に衰退するが、承安四年(一一七四)、玄海により中興。
江戸時代に入ってからは、徳川家康より十二石七斗、里見義康から五十三石六斗の寄進をうけ、広い山林と田畑をもつ修行道場となり、多くの僧が集う寺院となる。
しかし安政元年(一八五四)、またしても火災により全焼したが、寺名を『壇特山小松寺』と改められ再興。
現在の本堂正面の龍の彫刻には「安政二丙辰十一月吉日、相洲三浦郡浦賀 彫工 後藤忠蔵橘重武」と彫られている。
この銘から、現在の小松寺は安政二年(一八五五)、火災の翌年に再興されたと考えられる。

<立看板より>

向拝の彫刻

木鼻

本堂右側には白山社への入口がある。

縁結び・縁切りの神様として知られています。白山社への登り道はすべるので注意してね。

納経所

納経所は本堂の左側にありますが、今日は閉まっていました。

前回は御朱印をいただきました。種類は色々。

ユニークな御朱印をいただきました。

小松寺には千年以上ものあいだ語り継がれる不思議な伝説「小松寺の七不思議」があります。

また周辺には古道や遊歩道があり、自然の中を散策できるよ。

駐車場の横に古道入口がある。

池の右側に遊歩道の入口がある。

古道や遊歩道はすべるので注意しよう。

ベストシーズンは紅葉の時期ですが、静かな小松寺もおすすめ!

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