久留里神社は君津市にあります。治安元年(1021年)久留里城主上総介平忠常が浦田妙見堂として勧請。昭和3年近隣の十社を合祀して総社となった。神社の境内には御神水として水が湧き出ていて、パワースポットとしてこの御神水を求める観光客も多い。
基本情報
久留里神社 | 旧郷社 |
住所 | 君津市浦田15 |
電話 | 0439-27-3187 |
拝観料金 | 無料 |
拝観時間 | 自由 |
祭神 | 天御中主命 |
創建 | 治安元年(1021年) |
御朱印 | なし |
祭礼 | 7月22日前後の土曜日 |
駐車場 | あり(無料) |
トイレ | あり |
アクセス | JR久留里線久留里駅徒歩15分 |
久留里神社は国道410号線沿いにあります。
駐車場に社務所とトイレがある。
駐車場の参道側に湧水がある。
久留里は「平成の名水100選」に選ばれています。
境内入口には朱色の両部鳥居がある。平成20年に再建。
随神門
神橋を渡る。
妙見信仰象徴の亀をモチーフにした像。
亀の鎮魂碑
久留里神社 宮司 小林芳治
久留里神社は その始め 細田妙見と称して 千葉氏の祖平忠常が久留里築城の際 守護神として 妙見宮を迎えお祭りしました
妙見宮は北極星を神格化した神様で その御尊体は亀に乗った武人で有ります 亀は五行思想から四方神の内 玄武神と言って 北の魔除けとして尊重されています
妙見様と亀は同じ北の方位を守る神として亀は妙見のお使いとして尊ばれて来ました
この地に眠る多くの亀の神霊を鎮め賜うことを祈念して この碑を建立いたしました
亀を大切に致しましょう
平成四年七月吉日
碑文 神社総代 土橋幸一
<境内石碑より>
随神門の中
左大臣(櫛磐間戸命)と右大臣(豊磐間戸命)
2枚の拝殿の写真が置かれていました。
左側は被害にあう前の拝殿、右側は2019年の台風15号で倒壊した拝殿。
とても大きな被害がありました。
狛犬(安政六年の奉納)
手水舎
御神水
拝殿(応急処置で建てられた物)
石灯籠(文政七年の奉納)
久留里神社記
久留里神社記
建碑寄進 真田達三郎氏
当社わ治安元年平州介平忠常の創建になり北辰と天御中主命を祭神とする妙見社で千葉六妙見の一社で千葉氏の氏神として栄え御神体は亀に乗った武神である。治承四年八月二十九日頼朝真鶴より勝山に上陸、千葉胤頼之を迎え当地通過の際、妙見に戦勝の祈願をなし鎌倉に入り後、天下統一の大事業をなし征夷大将軍となるや当社の修祠を胤頼に命じ建久三年七月新廟小櫃川上に成るや旌旗、鏡、剣を奉献し御礼の祭をしたのが七月二十二日に当る以後永くこの日を以て大祭の日と定めた。中世戦国の時代、里見、北条の数度の小櫃川激戦にも被害なく徳川家康関東を治めるに当り大須賀忠政を此の地に封じ忠政祈願所として尊崇し後に土屋氏酒井氏も信仰厚く朱印田の寄進等が有つた寛保二年黒田直純沼田より久留里に移封さるるや久留里城の築城んい当り特に願文を奉納したのである以来百三十年間の繁栄と城下町として街の発展があった、文化二年黒田六代直俟は、神輿を奉納し神威の高揚に努められた。昭和五年近郷十社を合祀しその総社となる昭和五十年八月四日本殿が市の指定文化財に指定された。
君津市文化財審議委員 和田正夫撰文
<境内石碑より>
本殿(君津市指定文化財)
本殿について書かれた看板
君津市指定文化財(建造物)
久留里神社本殿 一棟
所在地 君津市浦田 久留里神社
昭和五十年八月四日 指定
本殿は入母屋造り、銅板葺、垂木が密な繁垂木、二軒構造である。
平面は桁行、梁間とも六・三メートルの三間社である。
構造は長押(なげし)、頭貫(かしらぬき)、台輪(だいわ)を付け、柱上には平三斗(ひらみつと)、柱間上部に蟇股を備えている。床高は九十五センチで、周囲に和洋高欄の回縁が付く。内部は広い一室空間で、床は拭い板敷、天井は格天井(ごうてんじょう)で、幣殿と本殿の間に「雲に天女」の透彫りの欄間彫刻がある。
元来、この本殿は妙見堂として建てられたものであり、社殿建築における「本殿」の構成とはやや異なった点が見られる。空間内の配置においても、中央正面に蝦(えび)の腰の付いた須弥壇(しゅみだん)が置かれ、その上に千鳥破風付の二軒の繁垂木、二手先斗栱(ふたてさきときょう)などを備えた禅宗様の厨子(宮殿)があり、神仏習合のなごりをうかがわせる。
本殿は江戸時代後期に、久留里藩主黒田氏の援助により修造されたものと伝えられる。
令和四年三月
君津市教育委員会
<境内立て看板より>
「拝殿再建義援金のお願い」が書かれた立て看板
神輿蔵
大人神輿と子供神輿
末社殿
日枝神社の祠が見えた。
現在使われていない賽銭箱
庚申塚
開墾碑・石の祠・石灯籠など
1000年以上の歴史を持つ神社です。
拝殿の再建を望みます。
近くに行ったらお参りしよう。
そちらもどうぞ。
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