三島神社(君津市)

三島神社(君津市)

三島神社は君津市宿原にあります。御祭神は大山祇命で、源頼朝が関わる伊豆三島神社の分霊を勧請したと伝わリます。二の鳥居から三の鳥居に続く参道には大きな杉の木が林立し、戸隠神社の奥社を彷彿とさせます。毎年9月下旬の祭礼に行われる「三島の棒術と羯鼓舞」は、千葉県指定無形民族文化財です。

基本情報

三島神社
(宿原)
住所君津市宿原844
電話なし
拝観料金無料
拝観時間自由
祭神大山祇命
創建鎌倉時代
御朱印なし
祭礼9月の最終日曜日
駐車場駐車場はありませんが、二の鳥居付近に
駐車スペースあり
トイレなし
アクセスJR君津駅南口から周西線乗車、中島で
コミュニティバス中島・豊英線に乗り換
え宿原下車、徒歩5分

君津市宿原の国道410号線の宿原バス停付近に大きな鳥居が見えます。

三島神社の一の鳥居(平成10年の建立)

一の鳥居から300メートルほど進むと二の鳥居がある。

駐車場はないので路上駐車します。

朱色の二の鳥居(昭和54年の建立)

参道の両側には大きな杉の木が林立している。

戸隠神社奥社の参道を思い出した。

定書き

御神木と三の鳥居

三の鳥居(昭和40年の建立)

手水石

三島の棒術と羯鼓舞の立看板

 三島の棒術と羯鼓舞は、毎年行われる三島神社の祭礼(九月下旬頃)の際に、宿原・奥米・豊英 旅名四地区の氏子たちによって演じられる。
 棒術は、昔、源頼朝が安房の地から北上し、この地を通過した折、何人かの家来がこの地に土着し、武道に励みながら当神社に奉納試合としておこなったのが始まりと伝えられる。演者が六尺棒、刀、木刀、鎌、扇子等の武具を持って相対し、気合鋭く迫真的な激しいわざを展開する。現在、丸橋流・蓮見流・田原流などの流派があり、宿原・奥米・豊英の氏子に伝承されている。
 羯鼓舞は、羽毛を密生させた竜頭を頭につけた親獅子・中獅子・牝獅子の三体が腹部につけた小太鼓(羯鼓)を撥で打ちながら踊る。これは、かつて日照り続きの時、農民がこの社に集い雨乞いをおこなったところ、突然竜神が現れ、慈雨を降らせたという故事に習い、獅子を竜にたとえて舞にしたものである。棒術の後に同じ場所で、旅名の氏子によって演じられる。
 平成十七年三月31日
     千葉県教育委員会
     君津市教育委員会
<立看板より>

社殿が見えて来た。

階段両側の石垣は歴史を感じる。

狛犬

石燈篭

拝殿

向拝の彫刻

拝殿の中の様子

拝殿と本殿

古い手水石

三島神社社殿改築記念碑

本神社は、古来より存するも創建は詳らかでない。
 元亀年中(1570〜1573)に社殿が焼失し、その際什器、古文書などが灰と化し創建の証しは消滅した。
 祭神に大山祇命を奉祀し、農林農耕の守護神、家門繁栄の祈願所にして三島地区の産土神である。
 秋の例大祭には、千葉県指定無形民族文化財の棒術、羯鼓舞が奉納され氏子や崇敬者などで賑わい神と人とが交わる聖なる空間を形成する。
 旧社殿は、時の流れと人々の暮らしを見守り風雪に耐えた末朽廃し、改築が急務とされつつも月日を重ねる。
 平成二十一年五月の神社定期総会において、猶予なき事態として改築を決議する。しかしながら、この地は過疎化と高齢化が著しく資金確保に苦慮し、三か年を要した。
 この間、氏子のほか広域に賛同を懇請し、理解と協力を得ることに務め懸案の社殿改築は漸く具現化した。
 ことに三島の地を郷里とする多くの賛同者の物心両面のわたる援助によって、この事業推進の強力な原動力を得る。
 今、三島の社は、天に聳える巨杉の下に入母屋造銅板葺の荘厳な社殿及び社務所が立つ。
 ここに記念碑を建立し、経緯の実情を末永く後世に伝える。
    平成二十五年九月吉日
     三島神社社殿改築実行委員会
<記念碑より>
 

社殿改築記念碑の左には男根が祀られている。

さらに左には小さな階段がある。

石碑(明治25年建立)

境内社

横から見た拝殿ですが、厳かな雰囲気をかもしだしている。

社殿前から三の鳥居・二の鳥居が見える。

杉の大木から多くのパワーがいただける、おすすめの神社です。

ぜひ参拝に訪れてください。

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