妙覚寺は勝浦市興津にある日蓮宗の本山です。日蓮宗最初の開山寺で、1274年興津城主、佐久間重貞の長子長寿丸がのちに日保上人となり建立。1649年には徳川家光より寺領25石の御朱印状を受領、江戸期には末寺24ヶ寺を擁した。
基本情報
妙覚寺 | 日蓮宗の本山・日蓮最初の開基寺院 |
住所 | 勝浦市興津1195−1 |
電話 | 0470−76−0339 |
拝観料金 | 無料 |
拝観時間 | 自由 |
宗派/山号・寺号 | 日蓮宗/広栄山・妙覚寺 |
本尊・寺宝 | 久遠実成本師釈迦牟尼仏 |
創建 | 1274年 |
御朱印 | あり(庫裏) |
駐車場 | あり(境内に数台)または 興津港海浜公園の駐車場(徒歩3分) |
トイレ | なし |
アクセス | JR外房線・興津駅から徒歩10分 |
車でお越しの際は、JR外房線の宮前踏切りの横から境内に入ります。
線路に沿って進みます。
宝物殿の右側が駐車場です。
境内の駐車場は狭いので、満車の場合は近くの興津港海浜公園の駐車場を利用しましょう。
海浜公園の駐車場は無料で、トイレもあるので便利。
目の前は太平洋ですが海水浴シーズン以外は空いてます。
海浜公園の駐車場から総門までは徒歩3分。
総門
桜の時期がおすすめ。
扁額には廣榮山妙覺寺と書かれている。
参道の途中、JR外房線が横切っているので注意してね。
参道を電車が通るのは珍しいですね。
踏切を越えると仁王門です
仁王門は勝浦市指定有形文化財。
勝浦市指定有形文化財
妙覚寺山門
勝浦市興津一一九一
昭和四十七年二月八日指定
江戸末期地方作の代表的建物の一つである。
天保七年(一八三六)建造にかかり、同十年完成の記録がある。大工棟梁の名は判明しないが、おそらく伝統ある夷隅大工の流れをくむものであると思われる。
入母屋造り、桟瓦葺(さんかわらぶ)きであり、縣魚(げぎょ)に孔雀の彫刻があるところなど、いかにも地方作らしい。斗栱(ときょう)間の蟇股にも、牡丹に獅子、松に鶴など固定した図柄が用いられ、時代色をよく表している。
構造は大きく、三間二面一戸の楼門、構造柱は径三十センチに渡り、地方色と時代色がまことに鮮やかに浮きでている。
しかし、歳月が経過するにつれて老朽化が進み平成八年に大改修が施された。中央の太い柱の礎石、側柱十本の八角礎石は特に劣化が激しかったため、現在は様式が異なっている。
平成二十五年十二月二十五日
勝浦市教育委員会
<立看板より>
仁王像
仁王門をくぐると広い境内が見通せる。
仁王門をまっすぐ進むと左側に宝篋印塔がある。
番神堂
1842年の建立。
祖師堂
繋船柱碑
繋船柱碑
江戸時代興津は、東北諸藩の廻米交易船の碇泊地としてまた、沿岸有数の避難港として、いわゆる興津千軒の繁栄をもたらした要港であった。殊に穀倉を誇る仙台藩が、その往来最もしげく、当地に陣屋を置いて連絡取締りにあった。
この石柱も当時、仙台船によって運ばれ来ったもので、石巻近在に産する粘板岩、即ち仙台石である。かつて港の弁天崎磯際に十数本も並立し、これに繋留する船舶は一船につき金一朱と御供米二升、五百石以下は二百文をここ妙覚寺に納めたという。
時移って、廻米のことやみ繋船柱また遺棄されあるを惜しみ過去を語る文化遺産として、縁りの当妙覚寺境内に残すことにした。
当時妙覚寺は御朱印廿五石、門前百姓十九軒、門下寺廿六ヶ寺を有した日蓮宗名刹であった。
昭和三十九年七月 総南文化研究会々長 森 輝
<境内石碑より>
手水舎
本堂
1817年の建立、扁額には妙覺殿と書かれています。
日蓮宗の宗紋「井桁に橘」
石碑には「南無妙法蓮華経日蓮大菩薩」と彫られています。
廣榮山妙覚寺
日蓮宗最初の開山寺で同宗四本山の一つ光栄山妙覚寺は、文永十一(一二七四)年八月奥津(興津)城主佐久間重貞の長子長寿丸が後、日保上人となり日蓮を開祖して建立しました。境内は一万三千坪、金箔で書かれた法華經八巻、日蓮上人お手植えの楠で作ったと伝えられる一木三体の御尊像が安置されています。
また境内には仙台船をつないだ石柱があるが、江戸時代の興津は東北と江戸間を結ぶ重要湊で、同寺には仙台藩役所が置かれ入港船は必ず津料を納めました。
昭和五十二年十二月 勝浦市
<立看板より>
庫裏
鐘楼堂
立派な鐘楼堂ですね、建立は1854年。
宝物殿
かつての繁栄ぶりがうかがえる、見どころの多い立派なお寺です。
勝浦に来たら是非寄ってください。
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