大多喜城

大多喜城

1590年、里見氏が上総国を没収されると徳川家康に与えられた。徳川家康の四天王の一人、本多忠勝が大多喜城主となり大多喜藩10万石が成立。忠勝はお城の改修を行いこれが今日の大多喜城となった。

現在は、千葉県立中央博物館・大多喜城分館として情報を発信しています。

博物館は令和3年12月27日から、施設改修のためしばらくの間休館しています。

博物館に入れませんが、敷地内を散策したりお城の見物・撮影はできるよ。

基本情報

大多喜城千葉県立中央博物館・大多喜城分館
住所夷隅郡大多喜町大多喜481
TEL0470-82-3007
FAX0470-82-4959
開館時間休館中
休館日休館中
築城主真里谷信清
築城年1521年(大永2年)
廃城年1871年(明治4年)
主な改修者本田忠勝・阿部正次
主な城主真里谷氏・里見氏・本多氏・阿部氏
松平氏
駐車場あり(休館中のため現在無料)
本来は200円
トイレあり
アクセスいすみ鉄道大多喜駅から徒歩15分

駐車場
博物館が休館中のため、無料開放されています。

大多喜城周辺は桜の名所でもある。

車は侵入禁止

休館中の看板が立っていますが徒歩で先に進める。

桜が見頃

二の丸公園入口

お城が見えてきた。

天守(千葉県立中央博物館・大多喜城分館)

空堀(からぼり)

(案内板より)

城には、敵が攻めにくいように掘りを作りました。掘りのなかで水のないものを空堀といいます。

山城の掘りは空堀が多く、平城は低いところに作られているため、ほとんどが水掘でした。

空堀の底は土や石なので、落ちるとケガをするため、水堀よりかえって攻めにくいといわれています。

大多喜城の空堀は、西側の守りにも多く作られています。

大井戸(千葉県指定史跡)

(案内板より)

大多喜城内にあった三十数個の井戸の一つです。

初代城主の本多忠勝の時に掘られたといわれ周囲約十七メートル、深さ二十メートルで、日本で最も大きな井戸の一つにあげられます。

当時は八個の滑車と十六個の鶴瓶桶があり、水がつきることなくわき出ることから「底しらずの井戸」と呼ばれました。

現在は大多喜高校の駐車場内にある。

薬医門(千葉県指定史跡)

(案内板より)

大多喜城内で使われていた門の一つです。

明治のはじめに城がとりこわされルト、この門も城下の民家にはらい下げられました。その後、学校の門として再びこの地に移されました。

昭和四十七年に大修理がなされ、現在に残された大多喜城ただ一つの建物です。

おすすめは桜の時期(3月下旬〜4月上旬)と紅葉の時期(12月上旬)。

近くには大多喜県民の森があり、子供達が元気に遊ぶことができるよ。

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