高家神社

高家神社

高家神社は南房総市千倉町にある式内社で、日本で唯一料理の祖神を祀っています。料理関係者や醸造メーカーなどから厚く信仰され、庖丁式には多くの参拝者が訪れます。

基本情報

高家神社(たかべじんじゃ)式内社
住所南房総市千倉町南朝夷164
電話0470−44−5625
(社務所)
拝観料金無料
拝観時間8:00〜17:00
祭神主祭神 磐鹿六雁命
(いわかむつかりのみこと)
天照大神・稲荷大神
創建1620年(元和6年)
御朱印あり
祭礼5月17日、10月17日
(旧神嘗祭)および
11月23日(旧新嘗祭)に
包丁式の奉納がある
駐車場あり(無料)
トイレなし
アクセスJR内房線千倉駅からバスで
「高家神社入口」下車・徒歩5分

 《高家神社の由来》
 主祭神 磐鹿六雁命、天照大神・稲荷大神を併せ祀る。
 主祭神 磐鹿六雁命については「日本書紀」の第12代景行天皇53年年冬10月の条および延暦8年(789)に磐鹿六雁命の子孫である高橋氏が朝廷に奉ったとされる「高橋氏文」に記述されています。
 景行天皇が皇子日本武尊の東国平定の事績を偲び、安房の浮島の宮に行幸された折、侍臣の磐鹿六雁命が、弓の弦をとり海に入れた所堅魚(かつお)を釣りあげ、また砂浜を歩いている時、足に触れたものを採ると白蛤(しろうむぎ)(=はまぐり)がとれた。磐鹿六雁命はこの堅魚(かつお)と白蛤(しろうむぎ)を膾(なます)や焼き物にして差し上げたところ、天皇は大いに賞味され、その料理の技を厚く賞せられ、膳大伴部(かしわでのおおともべ)を賜った。
 この功により若狭の国、安房の国の長と定められ、以後代々子孫は膳の職を継ぎ、もし世継ぎの無い時は、天皇の皇子を継がせ、他の氏を交えず、皇室の食事を司るよう賜った。
 また、大いなる瓶(かめ=べ)に例え、高倍さまとして宮中醤院(ひしおつかさ)で醤油醸造・調味料の神として祀られている。醤(ひしお)には、野菜を発酵させた草醤(くさびしお)、穀物を発酵させた穀醤(こくびしお)、魚など」を発酵させた肉醤(にくびしお)があった。今でいう漬物・味噌醤油・塩辛の三種だが、これらは日本料理の基礎をなすものであり、磐鹿六雁命が料理の祖神とされる由縁であります。

 高家神社は延喜式神名帳に登載される小社の一つです。現在の所に祀られたのは江戸時代の初頭にさかのぼります。
 元和6年、現在の宮司の祖先となる高木吉右衛門が桜の木の下から、木像と二面の御神鏡を発見し、社を建てて祀りました。
 200年余りの後、この鏡面の後食津神、磐鹿六雁命と記されていたことがわかり、当時所在があきらかではなかった高家神社の御神体であるとして、文政2年に京都吉田御所の証を願い御幣帛をいただく。神社拝殿内正面の御神号額はこの時のもので、神祇道管領卜部朝臣良長の銘が刻まれています。
 江戸時代以降、醤油沿革史の著者・田中直太朗氏(ヒゲタ醤油(株)の始祖)、料理法大全の石井治兵衛氏、さらには日本料理研究会初代理事長・三宅孤軒氏等の労により、祭神の御神徳が発揚され今日に到っています。

<立て看板より>

駐車場

高家神社について書かれた看板

料理の祖神「磐鹿六雁命」が祀られている。

一の鳥居が見えた。

一の鳥居

参道の左側に社務所があり御朱印がいただける。

手水舎

御神水

拝殿

日本で唯一料理の祖神を祀る。

拝殿の中には「高倍醤油」が奉納されていました。

包丁塚

包丁奉納殿

庖丁式
 今からおおよそ千百年余り昔、時の58代光孝天皇は料理に造詣が深く、光孝天皇の命により様々な料理をまとめて後世に伝えたのが四條流の祖といわれる四條中納言藤原朝臣山陰卿でした。光孝天皇の時代(平安時代)から朝廷を始め、貴族社会の人々により、宮中行事の一つとして行われてきたのが「庖丁儀式」です。
 烏帽子、直垂をまとい、庖丁と、まな箸を用い、一切手を触れることなく、鯉、真鯛、真魚鰹などを調理します。古式に則った所作とその包丁さばきは、熟練の技。日本料理の伝統を今に伝える厳粛な儀式です。
 毎年、5月17日、10月17日(旧神嘗祭)、11月23日(旧新嘗祭)に高家神社境内で庖丁式の奉納が執り行われます。

神輿殿

料理の祖神を祀る唯一の神社です。

千倉にお越しの際は、ぜひ参拝に訪れてください。

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