誕生寺は鴨川市小湊にある日蓮宗の大本山です。日蓮聖人は1222年小湊で漁師の子として生まれ、12歳まで小湊で暮らしました。その後、直弟子日家上人が1276年、日蓮聖人生家跡に一字を建立し高光山日蓮誕生寺と称したのが始まりです。
基本情報
誕生寺 | 日蓮宗の大本山 |
住所 | 鴨川市小湊183 |
電話 | 04−7095−2621 |
拝観料金 | 無料 |
拝観時間 | 自由 |
拝観時間 (祖師堂) | 6:00〜16:00 |
宗派/山号・寺号 | 日蓮宗/小湊山 |
本尊・寺宝 | 十界本尊 |
創建 | 1276年 |
御朱印 | あり(祖師堂にて) |
駐車場 | あり(有料) |
トイレ | あり |
アクセス | JR外房線・安房小湊駅から 徒歩20分 |
駐車場は近くに3ケ所あります。
境内右側の駐車場(600円)
総門まで徒歩1分。
本堂奥の駐車場(600円)
本堂と祖師堂まで徒歩1分、総門までは徒歩3分。
ウオポート(漁協直売店)の駐車場
駐車料金は12時間600円、以降2時間毎に100円ずつ加算。
12月29日〜1月10日の期間は2時間毎600円となります。
ウオポートの駐車場から誕生寺総門まで徒歩2分。
総門
2021年2月16日は日蓮聖人降誕800年
参道の両側には石燈篭が並ぶ。
蘇生願満の大灯籠
蘇生願満の大灯籠
平成三十三年、宗祖日蓮大聖人御降誕八百年を迎うるに当り、当山では平成二十二年より、立正安国の祖願成就に向け、この世の中を蘇生(よみがえ)らせるべく、「蘇生の灯」(そせいのともしび)たる石灯籠の建立を進めてまいりました。
然しながら、奇しくも平成二十三年二月十一日、未曾有の国難ともいう東日本大震災に遭遇いたしました。
想う今こそ人類のすべてが自らを省みて「蘇生の灯」を一人々々の心に燈し、この世の中を照らし、祖願のお應えする時が来たと思います。
依って、爰に「蘇生願満の大灯籠」を、当山総門の傍らに建立し、献灯御芳名の方々の末永き御安泰と御健勝をお祈りいたしたいと存じます。
お心ある皆さまのお力添えを、願ってやみません。
大本山 小湊 誕生寺
八十四世 不自惜院日命
<灯籠の彫られた説明文より>
年間行事
年頭開運祈願会 | 正月七日間 |
節分会 | 二月当日 |
宗祖御降誕会 | 二月十六日 |
歴代上人御報恩 千部読誦会法要 | 四月十六日 |
宗祖御衣替(夏) | 六月五日 |
流灯海施餓鬼会 | 八月十日 |
孟蘭盆施餓鬼会 | 八月十九日 |
秋彼岸施餓鬼会 | 九月二十二日 |
宗祖御衣替(冬) | 十月五日 |
御会式 | 十一月十二日 |
星祭祈願会 | 冬至〜節分 |
日蓮聖人誕生の三つの不思議
日蓮聖人誕生の三つの不思議
日蓮聖人が生まれた際に「三奇瑞」(さんきずい)といわれる不思議な出来事が起きたと言い伝えられています
誕生水(たんじょうすい)
蓮華(れんげ)
鯛(たい)
貞応元年(1222)2月16日、日蓮聖人誕生のとき、庭の片隅に清水が湧き出しこれを産湯に使い、浜辺には青い蓮華が咲き誇り、海辺では、本来深海にすむ回遊魚で群れをなさない鯛が、大小無数群れになって現れ、日蓮聖人の誕生をお祝いしました。
これらの不思議が「誕生水」「蓮華ケ淵」「鯛の浦(妙の浦)」として800年を経た現在も当地に残されており、日蓮聖人誕生の「三奇瑞」と伝承されています。
<立看板より>
誕生水の井戸
湧き出した清水の水脈をたどり井戸が掘られ、現在も、枯れることなく「誕生水の井戸」として護られています。
[ 子授け 安産 発育のご利益 ]
井戸の水を汲み誕生のご縁を結ぶ
誕生水をつかい「子授け成就」「安産成就」「発育円満」の願いをかなえます。
令和3年2月16日
<立看板より>
誕生堂と太田堂
手前が誕生堂で奥が太田堂
誕生堂
誕生堂
昭和五十八年四月再建
堂内中央に日蓮聖人御幼像御両親(妙日尊儀妙蓮尊儀)像の一木三体の座像が奉安されています
<立看板より>
太田堂へはここから行けないので、後で紹介するね。
仁王門
仁王像
千葉県指定有形文化財
誕生寺仁王門 一棟
平成九年三月二十一日指定
誕生寺の七棟伽藍は、江戸中期の宝暦八(1758)年の火災によって仁王門を除く他の建物は全て焼失してしまいました。焼失をまぬがれた現在の仁王門は、江戸前期の宝永三(1706)年二十六世大中院日孝上人の代に水戸徳川家の助力を得て建立されたと伝えられるものです。江戸中期の寛政三(1791)年の銘を持つ「誕生寺絵図」中に見られる仁王門が相当すると考えられます。
間口約一四・八メートル、奥行き約五・八メートルの五間三戸瓦葺重層門は、県内では最大規模のものです。軸部は白木造(ケヤキ)、組物は下層では和様三手先、上層では唐様三手先、中備はいずれも本蟇股、装飾は虹梁の絵様及び蟇股と支輪に波・雲の彫刻が用いられています。
上層に見られる般若の彫刻は左甚五郎の作と伝えられ、正面左右の脇の間には上総の仏師松崎右京大夫の作と伝えられる仁王像が安置してあります。
創建時の様子をとどめた絵様及び彫刻など、様式的にも、歴史的価値の高い貴重な建造物です。
千葉県教育委員会
鴨川市教育委員会
<立看板より>
小湊山 誕生寺(日蓮宗)
創建 建治二年(1276)
開基 日蓮聖人 開山 日家上人
由緒 当山はそのはじめ文永元年聖人自ら母梅菊女の病気平癒を記念して建てられた荘厳道場堂に濫觴し建治二年直弟子日家上人これを聖人生家の地に移して高光山日蓮誕生寺と呼ばれたことに始まる。
その後明応七年の大地震海嘯の厄に遭って陥没、妙の浦の丘辺に移したが元禄十六年再度地震海嘯の天災を受け現在にの地に移った。
当山二十六代日考上人水戸家の帰衣をうけ七堂伽藍を整えられたが宝暦年間大火あり二王門を残し悉く焼失した。雨落ち十八間四面総欅造りの祖師堂は天保三年(1832)より十年間の年月をかけて完成し、内陣中央に日蓮聖人像が安置されている。
古くは国守里見安房守、その臣正木太夫、水戸光圀、加藤清正等の帰依篤く、御朱印七十石、格式十万石、緋綱代乗輿独礼寺格の待遇をうけ、また馬大作、太田康資等の隠棲が綴る多彩な歴史を蔵し、明治に入り有栖川家の御廟所も建てられている。堂塔二十有余、境内二万坪。現に日蓮宗大本山である。
<立看板より>
仁王門をくぐると参道の両側にさらに石灯籠が並ぶ。
誕生寺境内案内図
誕生寺略縁起
誕生寺略縁起
千葉県が生んだ世界の偉人日蓮聖人は、ここ小湊に生まれました(一二二二)。聖人は自らの出生を「安房国長狭群東條郷片海海人(かたうみあま)が子なり」(「本尊問答抄」)といわれ、聖人没後五十年頃の聖人伝「本門宗要抄」には「出生の処は安房国長狭郡東條小湊の浦の釣人権頭の子也」とあります。
誕生寺は隣村上興津の豪族佐久間兵庫助重吉の子竹寿麿(日家)甥の長寿麿(日保)により建治二年(一二七六)開創され、日蓮聖人を開山とし、日家上人を二祖、日保上人を三祖とし、聖人誕生の地に建立されました。
しかし明應七年八月(一四九八)大地震大津波があり堂字坊舎ことごとく流出しましたので、祓崎(はらいざき)の南端から現在の地に移りました。延宝八年(一六八〇)の記録「誕生寺寺法」によれば、境内地は南北三十二町(三、四五六米)東西二十町(二、一六〇米)とありますから関東屈指の大寺であったことがわかります。
天正八年(一五八〇)里見安房守義頼が四十石の田畑及び寺面海上十石を、更に慶長九年(一六〇四)市川の地二〇石を、重臣正木大夫頼忠より寄進しております。
そして慶安元年(一六四八)徳川三代将軍家光公が御朱印によりこれを認められました。現在の特別天然記念物「鯛の浦」はこの「寺面海上十石」寺領内のものであります。
この頃の小湊村は、七〇国の御朱印、海上十石の運送業権を背景にして近海航路の門前町として栄え、人口もこの地方では最も大きな港町であったといわれます。
<立看板より>
鐘楼堂
鯛塚の案内板
鯛塚
1222年2月16日日蓮聖人誕生のとき、海辺では、本来深海にすむ回遊魚で群れなさない鯛が、大小無数群れになって現れ、日蓮聖人の誕生をお祝いしました。このような由来で聖人御生家近くの浦は妙(鯛)ノ浦と呼ばれるようになりました。妙の浦の鯛は聖人の化身であるとか使者であると云われ古くより手厚く保護されて来ました。毎月六日に鯛の精霊のご供養をしています。
<立看板より>
鯛塚の左から太田堂に行けます。
太田堂
「太田稲荷堂の彫刻」
所有者 誕生寺
製作者 武志伊八郎信美(三代伊八)
制作年 文久三年
太田稲荷堂の向拝には、三代伊八が制作した竜が飾られています。三代伊八は初代伊八の孫にあたり、この竜を制作した文久三年(一八六三)当時は四十七歳の年齢でした。
波間に複雑に身をくねらせる竜の姿は、三代伊八の作風の特徴をよく示しています。この竜の裏面には、大小の魚が波間に泳ぐ様子が彫られています。寺社の彫物にこのような魚がモチーフとして用いられるのは、あまり例がありません。誕生寺周辺の小湊地区がもともと漁業が盛んな土地であったために、漁の対象となる魚が彫れたのかもしれません。
裏面の刻銘には、願主として上総国夷隅郡芳賀村(現在の勝浦市)の君塚勘解由左衛門(かげゆざえもん)、世話人として房州長狭郡花房村の庄司六左衛門の名前が記されています。この二人の名前からも、広い範囲の信徒によって支えられて来た誕生寺の歴史の一端がうかがえます。
平成二十八年三月十五日
鴨川市の文化遺産を活かした地域活性化実行委員会
向拝の竜の彫刻
竜の裏面の魚の彫刻
裏面には願主と世話人の名前もある
日蓮聖人御幼像
日蓮大聖人ご幼像
この銅像は日蓮大聖人が善日麿と称していた十二歳の折修行出家の爲清澄山に登られた時のお姿です 昭和十年・六十七世日誘上人の代に造立されました
京佛師瑞岑作と伝えられています
<立看板より>
12歳で清澄寺に入り修行を積んだ善日麿は、更に諸国に出て各宗の奥義を学び、32歳のとき清澄山の旭ケ森で立教開宗の第一声をあげました。
手水舎
浄行堂
売店
祖師堂
祖師堂の拝観時間は、6:00〜16:00。
向拝の彫刻
祖師堂の総受付で御朱印がいただけます。
御朱印の種類は豊富
料金は種類によって異なります。
祖師堂は大きくて迫力がある。
祖師堂の説明文
鴨川市指定有形文化財
「誕生寺祖師堂」
附「指図(天保三年)・棟札(天保十三年)・奉納額(明治二十九年)」
所有者 誕生寺
指定 平成二十九年十一月十八日
市内で最大規模の木造建築であり、建立当初の建築様式を良好にとどめている貴重な建物です。祖師堂の歴史を伝える「指図(天保三年)」「棟札(天保十三年)」「奉納額(明治二十九年)」の関連資料も残されています。これらの資料から、建立年代、造営に携わった大工棟梁や彫工及び関係者、後年の改修履歴の概要が把握されています。
当初は須弥檀後方に後陣が設けられていたと推定されますが、それが取り払われ、昭和六十三年には宝塔に建て替えられました。この改築工事にもかかわらず、祖師堂内部の礼拝空間は良好に保持されています。
後年の改修を経ながらも、天保から弘化年間の建築様式をとどめる祖師堂の保存状態は良好であり、日蓮聖人が誕生した小湊地区の歴史を象徴する建物として高い価値を有しています。
平成三十一年三月八日
鴨川市教育委員会
<立看板より>
横から見た祖師堂
屋根の鬼瓦は世界一に認定
実物と同じ大きさの物が展示されています。
この鬼瓦は愛知県の三州瓦を使用し、26枚の瓦で構成されており、その広さは21畳敷き、重さが、約750貫、現在の三トン弱でございます。平成6年には【世界一の鬼瓦】として、日本語版ギネスブックにも認定されたものです。この上に設置されております鬼瓦も同じ大きさのものです。
<立看板より>
宝物館
宝物館の隣にトイレがある。
交通安全 車輌祈祷所
車輌祈祷所の左から道路を渡ると本堂に行ける。
本堂
千葉県指定有形文化財
富城殿女房尼御前御書
昭和五十七年四月六日指定
この御書は、当時、身延(山梨県)にいた日蓮聖人から、下総国中山(現市川市)の信者富木常忍の妻に宛てた書状で、弘安二(一二七九)年十一月二十五日、聖人が五十八歳のときの御親筆とされています。
聖人が年少の頃より恩をうけたことを感謝するとともに「いよ房は、学生になりて候ぞ、つねに法門きかせ給候へ」と富木常忍の子息「いよ房」すなわち伊予房(日頂)が、いちだんと学問の進歩したことを報じています。
この書状は、軸装されており、もとは中山法華経寺の汁宝として伝来していましたが、徳川光圀の配慮によって誕生寺に伝えられたものです。
現存する日蓮聖人の遺文の大半は、断簡・断片の類ですが、本書状は、消息文として完全に保存されていることから、日蓮聖人の閲歴を知る上で、貴重な資料です。
平成二十三年三月二十日
千葉県教育委員会
鴨川市教育委員会
<立看板より>
本堂の奥には客殿の屋根が見える。
布教殿堂
祖師堂の後ろには本師殿宝塔。
祖師堂の左側には龍王堂。
法華経の守護神である八大龍王が祀られている。
見どころも多くゆっくり回ると1時間ほど必要です。
誕生寺は地域の方々から厚く信仰されているのが分かりました。
すぐ近くに「鯛の浦遊覧船」もあるので、セットで巡ることをおすすめします。
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